カレーパフォーマー加藤のスパイスカレー探訪記

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【なろう系】戦国時代の日本でカレーが生まれた歴史小説5選

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今日もインド人風コスプレでブログを書くカレーパフォーマー加藤です。

高校時代の得意科目は日本史で、通勤時間や休日には歴史シミュレーションゲーム「信長の野望」の実況動画(真田の人や会戦名人など)を見たり小説投稿サイト「小説家になろう」にUPされた歴史小説を読んだりしています。

そこで今回は「小説家になろう」歴史ジャンルのランキング入りや書籍化を達成した人気小説の中から、戦国時代に転生・転移した主人公が日本で初めてカレーを作り戦国武将に食べさせた作品を5つ紹介しましょう。

日本のカレーの歴史

1859年にはじめて日本にカレーが伝わる

日本三大カレー伝来地
  • 横浜
  • 横須賀
  • 北海道

日本にカレーがはじめて伝わった時代や場所には諸説ありますが、1859年6月2日(江戸時代末期)の横浜開港がきっかけで来日した外国人が住む居留地に出入りする日本人を通じて伝わったという横浜説が現在最も有力とされています。

情報源1:カレーの日本伝来論(カレー総合研究所)

情報源2:カレーの日本史(ハウス食品)

それ以外には、日本海軍の鎮守府があった横須賀でカレーを食べた兵士が退役後に故郷に戻った際に一般の人たちへ広まったという横須賀説があります。

日本海軍がいつからカレーを食べていたのかは定かではないですが、1908年発行の海軍割烹術参考書にカレーレシピが記されており、これが日本海軍の資料における最古の出典になるとのこと。

※なお、海軍割烹術参考書を発行したのは舞鶴海兵団である。

横須賀説は「1884年に脚気対策でイギリス料理を参考にして取り入れた兵食が日本のカレーのルーツ」だとしていますが、海軍料理研究家の高森 直史 氏が著書の中で「カレーを脚気予防の兵食にしたというのは作り話」「食文化史と日本医学士の上からもつじつまがあわない」と指摘しています(海軍カレー伝説 147P)。

情報源1:海軍カレー伝説

情報源2:よこすか海軍カレーとは

北海道説は明治政府が北海道開拓のために雇い入れた外国人によってカレーが伝えられ、そこから全国に広まったとされる説です。

1876年に「少年よ大志を抱け」でおなじみのウィリアム・スミス・クラーク博士が来日し、全寮制の札幌農学校が開校。

その寮の食事はクラーク博士の発案で1日おきにライスカレーが出されていました。

情報源1:カレーライスの誕生 (講談社学術文庫)

1870年に日本人がはじめてカレーに挑戦する

1860年福沢 諭吉 氏が増訂華英通語を出版し、この中で「curry」の読み方を「コルリ」と表記しています。

これが日本にはじめてカレーという言葉を伝えた資料ですが、この時点で福沢諭吉がカレーとは何かを知っていたのかやカレーを食べていたのかは不明です。

1863年には幕府からフランスに派遣された使節団のメンバーである三宅 秀 氏が、船内で乗り合わせたインド人がカレーを食べているのを目撃して日誌に記しました。

※使節団メンバーがカレーを食べたという記述はありません。

1870年山川 健次郎 氏が国費留学生としてアメリカに渡る船の食堂でライスカレーを食べようと挑戦しました。

西洋料理の臭いが無理で乗船当初から何も食べずにいると医者に注意されたので、しかたなくライスカレーに挑戦するもどうしてもカレーは食べる気になれず、杏子の砂糖漬けをおかずにしてライスだけを食べたそうです。

1871年には岩倉使節団が不平等条約改正や欧米諸国視察のため横浜港を出発。

彼らはスリランカのセイロン島を訪問し、米欧回覧実記に「セイロン島がライスカレイの料理法の始まったところ」だという旨を記しています。

ただしセイロン島で岩倉使節団メンバーがライスカレーを食べた記述はない模様。

カレールーまで含めてライスカレーを食べた最初の日本人について、明確に書かれている文献は調べても見つかりませんでした。

しかし、1873年には陸軍幼年生徒隊の食事として土曜日の昼食にライスカレーが出されていたことがある明治人の記録(編著:石光真人)に記されています。

従って、遅くても1873年には日本人がカレールーまで含めてライスカレーを食べていると言えるでしょう。

情報源1:カレーライスの誕生 (講談社学術文庫)

情報源2:カレーの日本史(S&B カレー.COM)

1872年に日本最古のカレーレシピが公開される

1872年西洋料理指南(著者:敬学堂主人)が刊行されました。

これに記されたカレーのレシピが記録に残る日本最古のものと言われています。

そして同じく1872年に西洋料理指南から数か月遅れで刊行された西洋料理通(著者:仮名垣魯文)にもカレーのレシピが記されていました。

どちらのレシピもカレー粉から作る点や小麦粉でとろみをつける点、たまねぎではなく日本の長ネギを使う点が共通しています。

※たまねぎ、にんじん、じゃがいもがカレーの具材となるレシピは1911年に出版された洋食の調理が初出とのこと。

ちなみにインドでは行わない「小麦粉でとろみをつける」という発想は、カレー粉とともに日本にやってきたイギリス式調理法から生まれた模様。

現代日本人の感覚では驚きですが、西洋料理指南のレシピでは具材としてアカガエルを入れています。

情報源:カレーライスの誕生 (講談社学術文庫)

戦国武将がカレーを食べるのは時代を200年以上先取りした設定

このように史実では、日本にカレーが伝わったのは早くて江戸時代末期であり、日本人がカレーを食べようとしたり作ったりするのは明治時代初頭です。

これから紹介する小説の「戦国(安土桃山)時代に日本人がカレーのレシピを確立し作って食べた」という歴史改変は時代を200年以上先取りしたものといえるでしょう。

小説家になろうの戦国時代転生・転移作品

戦国時代に宇宙要塞でやって来ました。

あらすじ

フルダイブ型VRMMOによるSF系シミュレーション《ギャラクシー・オブ・プラネット》の古参プレイヤーである一馬(主人公)。

そのサービス最後日に、ゲーム内で創った宇宙要塞で一緒に戦ったアンドロイドたちに別れを告げたが、目を覚ますと戦国時代の日本にアンドロイドたちとともに転移していた。

現実化した宇宙要塞の資材や設備を使い小笠原諸島に拠点を築きつつ、歴史上の偉人を見たい一馬はガレオン船に乗り興味本位で尾張へ行く。

そこで織田信長に出会い、家臣として召し上げられるとともに久遠と言う姓をもらう。

その後は織田弾正忠家の尾張統一に協力しつつ内政チートや医学チートで領地を豊かにしながら120人以上の嫁(アンドロイド)と戦国スローライフを満喫していく。

織田信長がカレーを食べる

カレーが登場したエピソードは第二百七十四話・守護様の夕食と孤児の夕食

久遠一馬(主人公)が設立した孤児院の子供たちとともに、織田信長とお供の人たちが天竺料理として紹介されたカレーライスを食べています。

1548(天文17)年の出来事で、この世界では久遠家が自分たちや家臣や領民向けに作った料理(主家の織田家でも食べられていない)として歴史に残りました。

>> 戦国時代に宇宙要塞でやって来ました。

本能寺から始める信長との天下統一

本能寺から始める信長との天下統一 1 (オーバーラップ文庫)

本能寺から始める信長との天下統一 1 (オーバーラップ文庫)

 
あらすじ

鹿島神道流の師範の父と、陰陽師の家系の母から育った黒坂真琴(主人公)。

修学旅行の最中にタイムトラベルして本能寺の変に巻き込まれ、明智光秀を撃退し織田信長を救う。

その後は織田信長に協力し、相談役として現代の知識を活かして天下統一を手伝ううちに浅井三姉妹と結婚。

天下統一後は現代兵器チートを用いて織田信長とともに海外遠征をしつつ内政チートで常陸国(現在の茨城県。主人公がタイムトラベルする前の故郷)を発展させていく。

織田信長や真田昌幸・幸村親子がカレーを食べる

カレーが登場したエピソードは第49話 カレー第51話 信長とカレーライス第57話 真田安房守昌幸と真田幸村信繁とカツカレー

主人公は今井宗久、千宗易、津田宗及に依頼して香辛料を購入。

石臼を使って全て粉にした香辛料を舐めながら調合し、豚の脂身や小麦粉などと一緒に炒めて作ったオリジナルカレールーと豚肉、にんじん、里芋を一緒に煮込んでカレーライスを作ります。

家臣や浅井三姉妹、三法師(織田信長の孫)に振舞ったところ美味しいと大絶賛。

その3日後に織田信長に呼び出されてカレーライスを届けます。

真田幸村が近習として仕えるべく真田昌幸と登城した際には、二人に黒豚のカツカレーを提供しました。

>> 本能寺から始める信長との天下統一

六芒星が頂に~星天に掲げよ! 二つ剣ノ銀杏紋~

あらすじ

20歳の大学生だった主人公は、気が付くと戦国時代の近江国の小さな国人領主の寺倉家嫡男に生まれ変わっていた。

前世で得た知識を使って幼少の頃から少しずつ領内を発展させるが、六角義賢の策略で父親を亡くす。

その敵討ちで六角義賢を打ち取るも恨みの感情にのまれ闇落ちしかけたが、妻の支えで立ち直り「日ノ本の誰もが豊かな生活を送り、戦ではなく笑顔の絶えない世を作る」という目標を掲げて所領の発展と日ノ本の平定に邁進していく。

※「信長の野望」で居城が1つの大名で君主プレイをするのが好きな人はハマると思う。

和田惟政がカレーを食べる

カレーが登場したエピソードは浅井家の慶事とカレーバテレン追放令① カレーと宣教師

永禄10(1567)年に主人公がカレーを作るために香辛料の入手を思い立ち、同時に香辛料の名前や役割(香りづけ・色味づけ・辛みづけ)、前世で香辛料を調合してカレー粉を自作したことを思い出します。

その後、堺の商人から香辛料を入手し、オリジナルのカレー粉が完成。

主人公に天竺料理としてカレーを提供された和田惟政(史実では室町幕府末期の幕臣)が美味しいと絶賛していました。

>> 六芒星が頂に~星天に掲げよ! 二つ剣ノ銀杏紋~

銭(インチキ)の力で、戦国の世を駆け抜ける。

あらすじ

人類が宇宙に進出してから数千年後の未来。

零細運輸会社足利運輸の社長である足利光輝(主人公)は、元軍人で姉さん女房の今日子と弟の清輝、アンドロイドのキヨマロと共に、購入した宇宙船カナガワのローンを返済すべく奮闘していた。

ところが、突然仕事中にカナガワごと異次元宙流に巻き込まれて永禄3(1560)年の日本(史実とはパラレルワールド)に行きついてしまう。

地球から宇宙に戻れず、元の世界にも戻れない光輝たちはこの世界で生きていくと決め、生活資金を得るために沈没船のお宝を回収して尾張で売ろうとやって来たら織田信長と出会う。

織田信長に気に入られて武士となった光輝は(足利幕府の将軍と被るため)姓を「新地」と改めて、超未来の技術を用いて領内開発したりビタ銭を永楽通宝に作り直したり鉄砲を大量導入して戦で無双したりしながら織田家家臣として領地を拡大していく。

木下藤吉郎と前田利家がカレーを食べる

カレーが登場したエピソードは第十一.五話 戦場のカレーライス

織田家の美濃侵攻にあたり木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)が墨俣城を築城しながら斎藤龍興軍と戦う中で、新地(主人公)軍、前田軍、木下軍の兵士たちの食事としてカレーライスが提供されました。

高価な香辛料が使われ猪の肉が大量に煮込んであるカレーライスは大好評。

それを聞いた織田信長が墨俣城視察と称してカレーライスを食べにきて、猪の肉をパン粉で揚げたカツカレーを絶賛していました。

>> 銭(インチキ)の力で、戦国の世を駆け抜ける。

三田一族の意地を見よ

あらすじ

武蔵国の国人で後北条氏に滅ぼされる三田氏。

その当主で勝沼城主の三田綱秀の四男として誕生したのが主人公の三田康秀。

三田家滅亡を回避すべく主人公が現代知識をもとに黒板と白墨、大根の糠漬や麦焼酎、灌漑用水車の考案などを行った結果、北条幻庵に評価され人質として北条家へ。

北条幻庵の指導や支援を受けながら硝石の作成、塩田改修、千歯扱き考案、蒲鉾や佃煮の考案、オセロ考案、金山発見などの成果をあげ、結婚により北條一門入り。

その後も北条家のため、妻子のため、三田家のために現代知識で生産チートを発揮しながら一族滅亡フラグをへし折るために奮闘していく。

一向宗の僧侶がカレーを食べる

カレーが登場するエピソードは第参拾睦話 本願寺

弘治3(1557)年4月15日に摂津国(現在の大阪府北中部の大半と兵庫県南東部)の石山本願寺にて、主人公の三田康秀が顯如や下間頼廉、一向宗の僧侶たちに天竺(インド)料理としてカレーを紹介しています。

同年4月17日に主人公が石山本願寺の庫裏(台所)でカレー丼を作り、それを食べた一向宗の僧侶たちに絶賛されました。

スパイスは堺の薬種問屋から調達して臼でひき主人公が独自でブレンド。

作中で紹介されるレシピが戦国時代の日本にあわせて作りこまれており、作者のこだわりを感じます。

>> 三田一族の意地を見よ

まとめ

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戦国時代に転生または転移した日本人がカレーが恋しくて再現してしまう小説が多いことを考えたら、さすが国民食だなと感じます。

きっと現代の日本人は遺伝子レベルでカレーを求めてしまうのでしょう。

カレーパフォーマー加藤だって戦国武将に生まれ変わったり戦国時代に転移したりしたら、戦での無双や内政チートを考えるより先にカレーを再現しますね。

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